ときどき思うのだが
成功した人が自分の成功へのイメージの描き方を
よく人に伝授しているけれど、
あれって成功をイメージして成功を勝ち取ったんじゃなくて、
成功すべき人が未来を予知しただけなんじゃないかなって時々思う。
そうなるべきでない人が言われた通りの方法をとっても、
成功のイメージが映ることは決してない。
成功者の言葉が評価されるのは、
そうなるべきでたまたままだそうなっていない人が触発されるから。
というようなことを、しばらく会っていない知人がweb日記に下記綴っていた。
彼女の言わんとすること、わかるような気がしなくもない。
人の生き方で羨ましいものは沢山あるけど、
自分もそうなれる気がするものと、
絶対になれないものはほんとうに一瞬で、瞬きするくらいの一瞬で、区別がつくと思う。
そうなりたくないと思っているのではなく、そうならないと感じる。
あ、わたしたぶんそっち側に行かないわ、と感じる。
わたしは自分がどうなっていくのか、多分ある程度知っている。
残念ながら彼女がいうところの「予知」というような明確な像でもないので、
「多分ある程度」となるわけだけれども。
傍から見て羨むべきものかはわからないが、
わたしに相応しいものであることは間違いない。
以前働いていた会社の同僚を招いて、食べ、飲み、喋りした翌日、
みんなを見送って静かになった部屋で、そんなことを思う。
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