投稿

2008の投稿を表示しています

年末の東京→広島

イメージ
まずは27日のブルーカフェ、 足をお運びく出さった方、ありがとうございました。 まるっと楽しい一晩でした。 2009年もよろしくお願いいたします。 ● 翌日は関西から遊びに来ていた音ともだちと再開。 カフェでまったりカプチーノ→ラーメンという不思議な流れ。 ブルーカフェと重なって、 行きたくてしょうがなくて、 でもいけなかったexposure@東京サロンの話などを聞く。 音の好みが似ているお友達とのおしゃべりはるんるん。 帰宅後、クローゼットの中を掃除したついでに、 体形変化チェックのための儀式的に1か月に1回だけ 袖を通すジーパン(ジーパンなのに袖を通すっていうのは少し変な感じがするけれど) をはいてみたら、太ももの辺りがきつくなっていて、 恐る恐る体重計に乗ってみたら案の定、肥えていた。 体重計のデジタル数字の無慈悲さ、残酷さといったら、ない。 ここ最近のチョコレート大好き生活が原因のような気がする。 お腹がすいていないけれど頭が働かないとき、 仕事がはかどらないときなんかに、好んでかじっていたラミーチョコレート、 その空パッケージを屑かごから拾い出し表示されているカロリーを見て、納得。 当分チョコレートは控える。 そんな反省を胸に、夜、小一時間ほど走る。 ● 昨日、新幹線に乗って広島に帰ってきた。 無計画なわたしが新幹線の指定席を予約していようはずもなく、 えらく混雑した東京駅の構内、 すれ違おうとしてうまくすれ違えなかった人なんかに荷物が当たってしまって、 謝っても舌打ちを返されたりする度に、 指定席をとっていなかったことでこれからやってくる後悔を思って気が沈んだりしたが、 結局、自由席にすんなりと座れてしまった。 新幹線の中では、立っている乗客の方を盗み見てお絵かき。 隣に座ってた叔父様が、絵を見て話しかけてきたので、少し喋る。 小倉までいくのだそうだ。 航空機のチケットを取り忘れちゃってね、とか、 新幹線での長旅はしんどいですよね、とか、そんな他愛もない世間話。 他、小説と音楽で移動時間をやり過ごす。 旅のお供の小説は、めぐちゃんが貸してくれた姫野カオルコの「ツイラク」、 音楽はヤンシーキョロシーと、アブソリュートと、カイディー

日々徒然

イメージ
先日、某友人(友人なんて言ったら図々しいかも知れないけれど、 「友人」と言っても怒ったりしなさそうなその友人のおおらかさに甘えて 友人と書く)に、このブログの更新されないっぷりを指摘された。 イベントの告知とかじゃなくて、 女子的な日々の徒然を楽しみに読んでいる とのことだったので、更新します、女子的な日々の徒然。 更新っていうか、別の場所での丸裸日記を多少編集して張り付けるだけだけれども。 ということで、 過剰な自分を持て余しつつも、 楽しく飛び回っていた日々、 その細切れのあれこれを備忘録的に記録したもの。 ●11月15日 前の会社の仲間に誘われて川上未映子講演会@日大へ。 いつものごとく初動がおくれて大急ぎで自転車を漕ぎ、 着いたぜ日大、と思って自転車を止めた場所は明大であって、 当然そこでは講演会は行われていようはずもなく、どっぷり遅刻。 大急ぎで日大へ。 前の職場で3人で作っていた読書部、 部とはいっても主立った活動は、 仕事のエンジンがかからぬ朝に社内メッセンジャーにて 「いやー、夕べは読みかけの本の先が気になって読み進めてさ、  気付いたら朝だったんだよねぇ」というようなやりとりを交わしたり、 偶然に3人とも早く仕事を終えられたりした日に誘い合って飲みながら 最終的に本とは全く関係のない話題で盛り上がるという、 25歳男子と30歳女子とわたしという構成の、ただの仲良し3人組。 もともと、じゅんじゅん(25)が川上氏のファンということで 誘われて3人で足を運んでみることにしたのだが、 川上氏に関してはわたしはあのビジュアルがすきなのである。 特におかっぱの頃の風貌がとてもすきで、 あのポスターが本屋の店先などに貼られていると、 ビリッと剥いで持ち帰ってしまおうかしらと思うほどうっとりなのであって、 でも実際に読んだことがあるのは「乳と卵」と 谷川俊太郎目当てで購入したROCKSに寄稿されていた短編一本のみ。 両方とも、女の、女による小説、という印象、 それなのに、女のための小説、という感じはあまりしない、 というのがわたしの感想で、それは多分、 彼女の著作は女子が読むにはあまりにも女の生態が凝縮されていて、 女の厭な部分なんかもあますことなく丁寧に描写という様に

作法

信用やら信頼やらについてするとかしないとか、 できるとかできないとか難しく考えても、 結局わたしは自らが信じたいと思うものしか信じ得ないのだった。 裏を返せば、信じたいと思えるものを信じればいいんだと思う。 信じた結果として何が待ち受けているのか、 結果やら運命やら未来やらと人々が呼ぶもの、 ちょっとだけ向こう側でぱっくりと口を開いて待ち受けてるらしい そういうものをそっくりそのまま、 自分に起因することとして引き受けられるのであれば、 逆らえぬ感情には従えばいいのだ、たぶん。 と、この間、思った。 急に、すこん、と思って、 なあんだ、こんな簡単なことだったのか、と ひゅるひゅると肩の力が抜けたのだった。 シンプルな物事を小難しくしないように。 それが楽しく無理なく心地よくゆく作法な気が、今はわりとしている。

センチメンタルは

秋の季語である。 アニバーサリーの告知をしたついでに、書く。 というか載せる。 先週中盤くらいまでのことを、端的に、かいつまんで、 箇条書き的な備忘録として記録。 ●absolute!! 7日、仕事後、一旦帰宅して一風呂浴びて、 一時半頃、大急ぎで自転車でabsolute!!@loopへ。 absolute!!2周年兼absolute!!のCD全世界発売リリパという豪華さ。 先日、6年ぶりくらいにloopの別のイベントへyam?who目当てで足を運んだ際に ラウンジがめちゃくちゃに込んでいるのにも関わらず、 1時半をまわってもフロアが空いているというのを目撃して、 「わりと居酒屋的だな」と悲しくなったのだけれど、 absolute!!は全くそんなことなく、フロアで楽しく踊る人多数。 すきな曲がたくさん流れたけれども、 ゲストのKaren P嬢の流す曲は知らない曲ばかりで、 それでいて俄然楽しい。 どんな人なんだろう、と思ってフライヤーを見てみると、 「若干23歳で英国営放送局BBC Radio Oneの  ジャイルス・ピーターソンによる人気番組  「WORLDWIDE」のプロデューサーに抜擢」とある。 「これ、誰のなんていう曲か知りたい、  教えてもらって明日探して即買おう」という曲に 一晩に3回も出逢えれば相当に楽しいほうだと思うのだけれども、 3回なんていうのは軽く越えて行った。 自分の知ってるすきな曲がかかると楽しいというのは至極当然の話であって、 知らない曲がたくさんかかっているのに、とても楽しい、 これっていいイベント、素敵なイベントの条件なんではないかしら。 踊り狂いながら、ぼんやりとそんなことを考える。 KezさんのDJは今回も聴きはぐってしまった。 9月のclutureでそのDJを聞いてわたしの中のブロークン熱がぎゅんと再燃したので、 今回も楽しく汗まみれになって踊り狂うつもりでいただけに残念。 京都大阪のフロアにて半径5メートルくらいにいながら、 お互いをお互いと全く認識することなくすれ違っていた マコトくんともようやくお喋り。 最近、こういう場所で、京都・大阪で同時期に同じような場所で 同じようにして遊んでいた人と遭遇すると妙に嬉しい。 きゃっ

先週末のこと

イメージ
9月12日から15日の三連休のことを列挙。 ●金曜日 母が都内の病院で診察を受けるために泊まりに来る。 なので仕事を早々に切り上げて一旦帰宅。 ここ半年ほどの間にジムに通い始めた母は 持参した部屋着のTシャツの袖をまくり上げ、逞しい二の腕をわたしに披露。 腕を曲げると筋肉が盛り上がるのを娘に見せつけて得意げな母。 すごいねぇ、と褒めそやすと 「でしょ、お父さんにもみせてあげたの、そしたら「おー恐っ!」って  言われちゃったわ」とのこと。 ジムでのお友達にもみせて回っているらしい。 「旦那に重い荷物持ってもらえなくなるわよ」と言われたのだかなんだとか。 「それは由々しき事態だね」と返したら 「お父さんはたとえお母さんの二の腕がお父さんの二倍の太さになっても  お母さんの荷物は持ってくれるわよ」とか何とか。 仲が良さそうで何よりである。 そして、こういうときの母は頗るかわいいのだ。 わしゃわしゃと髪の毛をくちゃくちゃにしてなで回してやりたいくらいに。 その他、母が執筆中の本についてなど。 しばらく前に「わたし本書く」などと言い出した母を、 わたしを含め家族全員が「また母の思いつき病が始まった」と 適当に受け流していたのだが、その後も飽きずに書き続けているらしい。 父から自費出版の承諾まで頂いたそうで。 どんな本かを尋ねてみたところ「子育ての本」とのこと。 「出来たら智ちゃんと愛ちゃんにも1冊ずつ送ってあげるから。  いつか子育てする時に参考になるでしょ。」というので、 「反面教師としてね」とニヤニヤしながら返したら 「ひどーい」などと言われた。 娘の恋愛模様をそれなりに心配していたらしい母は、 現状を知って安堵した模様。 安堵したついでに見合いをすすめてくるので、 「いやいや、わたし卵子冷凍保存しておいて  45歳とかでかわいくて若くてかわいくて気の利いた  わたしが大好きだと思える男の子の赤ちゃんを出産して、  『40半ばで子ども生むなんてあいつ、魔女だぜ』って  噂される予定だから、見合いは必要ないよ」などと嘯く。 その後、夜中の二時前に「出かけるわ」と言い出した娘に 「どこに」という至極真っ当な質問を投げかける母。 「オルガンバーってとこ」と答えると 「オルガンがあるバーな

ときどき思うのだが

成功した人が自分の成功へのイメージの描き方を よく人に伝授しているけれど、 あれって成功をイメージして成功を勝ち取ったんじゃなくて、 成功すべき人が未来を予知しただけなんじゃないかなって時々思う。 そうなるべきでない人が言われた通りの方法をとっても、 成功のイメージが映ることは決してない。 成功者の言葉が評価されるのは、 そうなるべきでたまたままだそうなっていない人が触発されるから。 というようなことを、しばらく会っていない知人がweb日記に下記綴っていた。 彼女の言わんとすること、わかるような気がしなくもない。 人の生き方で羨ましいものは沢山あるけど、 自分もそうなれる気がするものと、 絶対になれないものはほんとうに一瞬で、瞬きするくらいの一瞬で、区別がつくと思う。 そうなりたくないと思っているのではなく、そうならないと感じる。 あ、わたしたぶんそっち側に行かないわ、と感じる。 わたしは自分がどうなっていくのか、多分ある程度知っている。 残念ながら彼女がいうところの「予知」というような明確な像でもないので、 「多分ある程度」となるわけだけれども。 傍から見て羨むべきものかはわからないが、 わたしに相応しいものであることは間違いない。 以前働いていた会社の同僚を招いて、食べ、飲み、喋りした翌日、 みんなを見送って静かになった部屋で、そんなことを思う。

遊び

出勤時に切符の券売機に並んで思い出した。 広島に帰省した際に使った広島電鉄、通称「広電」の注意書き。 広電は広島駅から市街を抜けて、宮島へとわたるフェリー乗り場をつなぐ路面電車。 両親が暮らすマンションの最寄である楽々園駅は無人駅で、 反対側のホームに渡る場合には線路を突っ切って歩いて渡る。 それぞれのホームには郵便ポストを小型化したような金属製の箱が立っている。 その箱からひょっこりと出てくる切符を取って乗車する。 清算するのは降車時で、この切符は乗車駅がわかるようにするためのもの。 役割としては、切符というよりも整理券に近いように思うのだが、 地元の人たちも広電のアナウンスもそれを「切符」と呼ぶ。 その切符が出てくる箱、一枚引っ張るとひょいと次の一枚が出てくる、金属製の箱に書かれた注意書きが、 「遊びで切符を取らないでください」 金属製のプレートに赤いペンキで、一昔前の文字組みで書かれていた。 なんと朴とつな一文。 「〜しないでください」という直球なものいいのわりに、 必要のない切符を抜き取るいたづらを指して「遊び」と表現するあたり、 妙に人間的で、懐の深さと温もりを感じる。 印象的な注意書きだった。

白昼夢

イメージ
せっかく携帯からの投稿を可能に設定したので。 お昼休みの風景。 蝉がけたたましく鳴くケヤキ並木、 ベビーカーを押しながら子どもを連れて散歩する 比較的しあわせそうな世田谷の主婦たち。 盆休みがあけた途端、ベンチでうたた寝な外回りの営業マン。 子どもたちに追いかけられて逃げ回る鳩たち。 自転車で曲芸ちっくなアクロバティックな技を練習する若い男の子。 を、横目にランチ。 この公園でお昼をたべるときは、いつも風景の中にある人を観察して、 その人の背景にある暮らしを勝手に想像したりして過ごす。 目の前を通り過ぎていく人がどことなく浮かれた表情をしているのは 昨日こんな出来事があったからに違いない、とか、 斜向かいのベンチに座っている人が耳の上のあたりをしきりに掻く癖の由来だとか、 そういうことをぼんやりと。 ある種の白昼夢。 昼時の手持ち無沙汰を解消するためにケヤキ並木の側のツタヤにて買った ブルータスのページを捲りながら、缶コーヒーをぐびりと飲む。 杉並区にある宮前公園の記事に目がとまる。 青竹の繁る公園内に聴覚を刺激する装置を設置した公園だとか。 記事においては「みみのオアシス」と表現されている。 気になったのでメモメモ。

携帯から

テスト投稿

広島

実家、広島に帰ってきた。 広島が実家だとは言っても、私の故郷は茨城のつくばで、 私が家を出た後に両親が広島に移り住んでいってしまったという話。 なので実家なのに「お母さん、洗面所のスイッチどこだっけ?」というようなアウェイ感。 今回で4度目の帰省なのだが、広島の家にはまだ体が馴染まない。 だからなのか知らないけれども、家の中で一番落ち着く場所は今のところベランダである。 そのベランダに出て一服しながらぼんやりとする。 すぐ側を広島電鉄の線路と国道が走っているのだが、恐ろしいほど静かである。 ただただ蝉の鳴き声が響いている。 時々吹く風がはす向かいの住宅の洗濯物や、駐車場のすみにはえた木々の枝を揺らす。 ベランダから眺める景色は恐ろしく静かで、絵画を見ているような気分にさえなる。 時々景色の中を人が横切っていくのを見て、はっと我に返ったりする。 こういう形でぼんやりと贅沢な時間を過ごすのはとても久しぶりな気がした。 ベランダで飲む冷えたジンジャーエールはやたらと美味しくて、 夏なんだなぁ、と漠然と思った。

20080808-0809

一週間前に言い渡された名古屋出張。 モデルを使った撮影の立ち会い&指示出しをしてこい、と。 金曜日の出張、 名古屋始点で考えれば京都なんて目と鼻の先、 こりゃ宿とって週末は京都で遊ぶしかないのでは!?と思って引き受けた矢先、 言い渡された「日帰り」。 ひつまぶしを食べることをモチベーションに新幹線に乗るも、 取引先のカメラマンに蕎麦屋に案内されヒツマブシは食せず。 相方にメールで確認したお土産「台湾ラーメン」を買って帰路につく。 余談だが、 お土産の指定のメールが相方からきた2ヶ月ぶりのメールだった。 メール云々など、どちらでも良いことなのだが、 一般的に見たら由々しき事態に違いないので、 ううむ、と腕を組むポーズをとっておく。 「ううむ。」 ● 土曜日は夕方友人宅でご飯会。 料理を2品作る。 海老とか何とかのマリネと、豚肉と大葉をくるくる巻いて塩胡椒したものを焼いたもの。 後者は冷めてもなかなか旨かった(自画自賛)のでお弁当向きかもしれない。 ビールにも良く合う。 日が沈む頃合い、友人宅の屋上に自立式ハンモックを持ち出し、 揺られながら飲むビール、最高! 1年前に足を運んだフジロックにて 林の中でハンモックに揺らながら昼寝を楽しむ集団を目にして以来、 ハンモックが気になっていた。 もう少し広いベランダがあったらおそらくは買ってしまっていたくらいの 気になる存在ハンモック。 いつかちょっと広いベランダ(もしくは屋上)のある部屋に引っ越したら、 休日の夕方はハンモックに揺られながらビールを飲むのだ、と思っていた。 思っていたのだが、「いつか〜」の条件部分をすっ飛ばして、叶ってしまった。 引っ越しのモチベーションが下がりかけたが、 「晴れた日の昼間、ベランダでハンモックに揺られながら読書」を次の目標にして走る。
一番やりとりが密な取引先が、 日商ギネスを出して、月商ギネスも更新。 他の取引先も月商ギネスを出した。 アパレルのトレンド云々に特別な興味があるわけではないのだが、 仕事の絡みがある会社はアパレルがメインのところばかり。 アパレル不況のあおりを受けて、春以降、 中小の卸・小売企業倒産の話を嫌というほど耳にした。 同じ規模の売上げのweb通販店舗は ここ数ヶ月昨年対比を割っている、なんて話も小耳にはさんで、 フリーで働き始めてから数ヶ月、内心冷や冷やだった。 でも、あれこれと思いついたことはひとまずやってみて 結果が出て、良かった。 引き受けた時から7月がヤマだな、と思っていたので、 ここ2ヶ月ほどは比較的ストイックに仕事をしたりもした。 その間もわくわくしたりはしたし、 もちろんずっと面白かったわけだけれども、 仕事である以上、わたしが面白いだけじゃ当然駄目で、 結果が出て初めて面白がってみても不謹慎じゃないような気がしていた。 そういった意味で、心底ほっとした。 この半年で広告予算も大幅に削減したし (皮肉なことに、ちょっと前までその広告を  買ってもらうべく策を練る立場だったのだが)、 8月の中期決算が終われば一段落か。 数字が出そろうのが楽しみ。

グッバイ・オールド・スポート

悲しいお知らせに気付いたのは昨日の夕方、 仕事の合間に一服しようと席を立った頃合いだった。 友人が死んだ。 と、京都に住む友だちが知らせてくれた。 友人などと言ってしまうのは失礼に当たるのかも知れないけど、 わたしが「ともだち」だと口にしても不愉快に思ったりしないような おおらかな人だったように思うので、 生前の彼のおおらかさに甘えて、友人と書かせていただく。 ● 初めて会ったのはメトロで、最後に会ったのもメトロだった。 「あの人メトロに住んでるんだよ」などという友だちの言葉を真に受けて 「え、お風呂とか洗濯とかどうしてるんですか」 などと聞いてしまった阿呆なわたしに 「比喩って言うんですよ、そういうの」と言って笑ったのが初対面。 朝方、少し空いてきたフロアのやや後方で缶ビールを片手に踊る姿は、 わたしの思い描くメトロの風景に必要不可欠だった。 踊り狂ったままハイタッチを交わし、 たまにご機嫌だと手に持ってるビールを一口飲ませてくれたりする、 自転車で颯爽と帰っていく姿が印象的な、みんなのお父さんみたいな人。 年齢は40代の半ばらしい。 大人なのにとても若々しい彼を見ていると、 自分のすきなことをきっちりと出来ている人は 年なんてとらないのかも知れないな、などと思った。 背が高くて、博学で、でも堅苦しくなくて、気さくで、穏やかで、 映画をたくさん観ていて、本をいっぱい読んでいる、 格好良い大人の代表格のような人だった。 いつかわたしもああいう大人になりたい、と思っていた。 関東に戻って来てからはこれといって交流があったわけではない。 でも、映画やら本やらの感想が小気味いい文章で綴られている 彼の日記を読むことは、相変わらずわたしの楽しみのひとつで、 面白そうな本が紹介されていたりすると、その本の題名のメモを片手に 仕事帰りに本屋へ向かったりしたこともあった。 京都に行ったついでに足を運んだメトロにて、 フロアの人だかりの中、頭ひとつ飛び出た姿を確認して、 「ああ、相変わらずのメトロだわ」と思ったりもした。 かれこれ十数年、メトロに通い続けてるんです、と言っていた。 年月が経っても変わらないものを象徴するような人だった。 わたしにとっても、他のみんなにとっても。

プリティー・ママ

うちのマンションの周辺には野良猫がたくさんいる。 一軒家の多く並ぶ住宅街の中なので、 決まった家でごはんをもらったりしている猫たちなのかもしれないが、 とくに首輪をつけていたりするわけでもなく、 気ままに暮らしている様子だ。 (気ままでない猫というものも、およそ見当がつかないが。) 夜ともなれば、 片側1車線の通りから小道へ入ってマンションへと歩く1、2分の間に 3、4匹ほどの猫たちに出くわすこともしばしば。 顔見知りの猫もいて、そういう猫とすれ違った時などは、 それぞれの場所で奮闘する同士とすれ違ったときのようなような感情を抱く。 片手を軽く上げて「おつかれー」と言いながら廊下をすれ違う時のような。 決まった時間帯にジョギングをする人が、 そのコースのほぼ決まった位置で毎日すれ違う人と、 目だけあわせて軽く微笑みつつ「どうも」といった挨拶を交わす時のような。 顔見知りの猫たちもそのキャラクターは様々で、 わたしの姿を見るなり、ひゅっと住宅の塀の隙間に身を隠すのもいれば、 とくに気に留めずに道の真ん中を陣取って動かない肝の据わったやつもいる。 食べ物を持っているわけでもないのに、 甘えた声で鳴きながらすり寄って来るものもいる。 夜である、辺りは暗い。 見通しの悪い薄暗い小道にてひとりしゃがみ込んで、 いや、厳密にいえば「ひとり」ではなく「一人と一匹」なのだけれども、 にゃあにゃあ言いながら猫と戯れあう姿は、 遠目に見たらちょっとした不審者に違いない。 そんなことを思って、後ろ髪をひかれてすこし足を緩めつつも 素っ気なく通り過ぎていた。 たしか冬の終わりの15時過ぎ、陽が傾きかけた頃だったと思う。 わたしは散歩の帰りで、早稲田にある書店で小説を買い、 近所の喫茶店で買ったコーヒー豆をひいてもらっている間 コーヒーを一杯飲みながら一服し、 買ったばかりの文庫本をぱらぱらとめくって 張り付いていたページがぺりぺりと剥がれる感触をあじわい、 新しい本独特の香りを嗅ぎながら 「おうちに帰ったらコーヒーを入れて  チョコでも齧りながらこの本をじっくり読もう」などと考えて、 妙に満たされた気分になっていた。 ペーパーフィルター用にひかれた豆を受け取って店を出た後、 日中はあまり歩かないその小道

西の国から

帰りにちらとのぞいたポストに茶封筒。 すっと背筋を伸ばしたように整った文字でわたしの名前が書かれていた。 封筒を片手に階段を駆け上がる。 要らないものばかりがつまったでかい鞄の底から鍵を探し当てて玄関のドアを開け、 靴を脱ぎ散らかしたまま、向かうはコンポの前。 京都で暮らしていた頃に、毎週末のように同じ空間で同じ音を聞いて過ごした、 手放しでだいすきと言える人からの贈り物。 彼女から頂いた自作MIX CDはこれで3本目。 送って下さった新しい1枚は、雨の日に似合いそうな音がたくさんつまっていた。 同封されていたお手紙を読みながら、その場にぺたんと座り込んで、聴く。 音と音の隙間に、高い、少し鼻にかかったような、特徴のある、無邪気な、 彼女の声が聞こえた気がした。 遠くの誰かがわたしのことを覚えている。 誰かの記憶の中で育つわたしを裏切らないように、と、 手紙を読みながらしゃんと背筋を伸ばした。

広告批評

雑誌『広告批評』の休刊について、20日の新聞(確か朝日だったと思う)に掲載があった。 大学時代、好んで立ち読みしていた雑誌だったこともあり、その記事が目にとまった。 創刊者の天野氏のコメントは、高度経済成長期から90年代初頭までのマス広告は その時代の大衆文化を如実に反映したものだったけれど、今はマスよりパーソナライズ化、セグメントされた情報発信のほうが主体となってきている、マスメディア広告万能時代の終焉とともにそれを批評するということの価値も当然変化した、だから休刊しようと思う、というようなものだったと思う。 記憶が定かではないが『広告批評、なぜ休刊?』といった感じの記事タイトル。 新聞、雑誌、テレビ、ラジオというマス広告の1媒体が、この天野氏のコメントを取り上げた、ということが妙に感慨深い。 ● 「家でネットや読書をしている時間がいちばん落ち着く」(20代男性) 「友達を飲みに誘おうと思ったら携帯で話しているうちに話が済んでしまい、事足りた」(20代男性) 半径10メートル以内で暮らすことを好しとするロストジェネレーション後遺症の若者たちをしっかりキャプチャーしたwebは、マス広告に変わるものとしてここ6、7年で100倍近い成長を遂げた広告媒体でもある。 ● 情報の出所を忘れてしまったのだが、ウィキペディアのリンクを追って読んでいくことで2、3時間というまとまった時間を過ごす20代の若者が増えているのだとか何とか。 「家でネットや読書をしている時間がいちばん落ち着く」若者たちには、ナマの世界は広すぎて、ウィキペディアという箱庭の中にある選択肢の不自由さくらいが、ちょうど落ち着くのかもしれないわ、とか。 ● wikiの話ではないが、ECで売上げを伸ばしている店舗のページ構成がここ半年で変化している。 1,2年ほど前までは、打ち出したい商品ページへ商品画像バナーで誘導するのが定例で、 そのため、バナー画像の配置であったりデザインであったりというものが重視されていた。 当然、強く打ち出したい商品ほど大きなバナー画像でフィーチャーされていた。 が、ここ最近の傾向はファッショントレンドのキーワードを鏤めたテキストをページに掲げて、そのテキストのキーワードとなる文言からリンクを引き、関連商品ページへ誘導するや

20080428 お弁当@世田谷馬事公苑

イメージ
カボチャ入りカレー ごはん だし巻きたまご ポテトサラダ ウィンナー お供の音楽:zero db 昨晩の残りのカレーで脱マンネリを図ってみる。 一晩寝かせたカレーって美味しいなぁ。 お弁当にいれるカチャカチャの使い捨て容器がどうも嫌いで、 無印良品のシリコン製お弁当用仕切りを購入したので早速使用してみる。 が、お弁当箱のサイズに会わなかった模様でビヨビヨと波打っている。 うーむ。 相方のお弁当箱にはぴったりサイズの様子。

20080425 お弁当@世田谷馬事公苑

イメージ
野菜スープ ウィンナー ごはん(大人のふりかけ海苔たまご) アスパラと人参とカリフラワーとブロッコリー(冷凍食品)を炒めたのにチーズを乗せてオーブンで焼いたのん お供の音楽:去年の自作ミックスCD 隙間を埋めるためにトマトケチャップをねじ込む。 メニューがマンネリしてきた。

VS アブラムシ

イチゴを2株育てている。 うち1株のアブラムシ害が酷い。 仕事が休みの日には必ずアブラムシを捕殺して、 牛乳を霧吹きで吹きかけている。 (牛乳が乾くと薄い皮膜ができて、アブラムシは窒息死する) が、次の休日までに新しいアブラムシがたくさん繁殖している。 いたちごっこなのである。 アブラムシ撃退の効果のあるコンパニオンプランツ、ナスタチウムも チャービルのアブラムシ害には効果を発揮したが、 イチゴには効果が薄い模様。 チャービルに付いていたアブラムシは緑色、 イチゴについているのは黒ごまのような焦げ茶〜黒色のアブラムシなので、 その種には効果を発揮しないのかもしれない。 先日購入した園芸関連書籍に『アブラムシ害にはニコチン液が効果的』とあったので、 早速本に書かれていた通り煙草を水にふやかして寝かせた『ニコチン液』というものを作って、 霧吹きで念入りにイチゴに吹きかけた。 効果があるといい。 そろそろ実が膨らんできたイチゴたち。 アブラムシに負けずに、無事に甘くて赤くて可愛くて美味しいイチゴをわたしの胃袋に納めたい。

20080422 お弁当@世田谷馬事公苑

イメージ
野菜スープ  ウィンナー だし巻きたまご 人参とブロッコリーとカリフラワーとアスパラ(冷凍食品)を炒めたのにチーズを乗せてオーブンで焼いたのん ごはん(おとなのふりかけ海苔たまご) インスタントコーヒー お供の音楽:Ben WestbeechのGet Closer、MustafaのSao Salvador(kaleidoscopio extended mix) 初夏を思わせる日射しだったので、ドラムンベースを聴く。 木漏れ日と初夏を思わせる日射しの日には爽やかめのドラムンがしっくりくる。 事務所をでて公園までの道を歩きながら、 まるで夏みたいな日射しだな、などと思っていたら、 夏が近づいている証拠を公園正門前にて見つける。 移動アイスクリーム屋の車が。 よく見てみると屋根にアイスクリームのモチーフが付いていてキュート。 その向こうの園内には遅れて開花する種類の桜が満開。 この光景、季節感が狂う。 向かいのベンチでは女子高生たち数人がお喋り。 笑い声があがるたびに陽の光に照らされた柔らかそうな栗色の髪が楽しげに揺れて光り、 彼女らのシルエットを金色に縁取る。 きらきら。 しかし、被写体が女子高生になった途端に、 まるで自分が盗撮しているかのような妙な罪悪感を抱くのは何故か。 ファインダーを覗き込みながら、 突然警官のような人がやって来て『何撮ってんだ!こら!』などと怒鳴られたりしないだろうか、と、 無性にどきどきした。

20080421 お弁当@世田谷馬事公苑

イメージ
インスタントコーヒー 野菜スープ ごはん(大人のふりかけ鮭) ハンバーグ 人参とブロッコリーとアスパラとカリフラワー(冷凍食品)を炒めたものにチーズを乗っけてオーブンで焼いたのん。 お供の音楽:4hero

西新宿

イメージ
上の写真は昨日夜。 新宿3丁目で焼き肉をたらふく食べた帰り道に、散歩した 西新宿 。 下の写真は今日の昼下がり。 コーヒー片手にゆっくり過ごした 西新宿 。 100メートルと離れていない風景を別の時間帯に切り取る。 西新宿は結構すきだ。 大阪に住んでた頃によく散歩していた天満橋のオフィス街に似て、どこか懐かしい。

整列!

イメージ
コインロッカー。 が並ぶ景色は、集合住宅のそれに似ている。 小さな間借り。 空間を切り取って、一定期間だけ自分のために自由に使える。 集合住宅の窓が並ぶ景色を見るのがすきで、 コインロッカーがある景色も妙にすき。

昼時の風景

週に4回ほどお世話になっている事務所から歩いて10分ほどのところに馬事公苑というのがある。 「この時期からは桜が綺麗なのよ」とその会社の社長夫人が教えて下さってから3週間ほど経ち、桜も散ってだいぶ暖かくなってきたある日から、お昼時は馬事公苑へ足を運んでいる。 公苑の正門前にはなかなか立派な並木があり、その通りの淵にはベンチが並んでいる。 すぐ側にある東京農大の学生がスターバックスで買ったコーヒー片手にお喋りを楽しんでいたり、定年後の日々を穏やかに送っていると思しき年輩のご夫婦がのんびりと散歩を楽しんでいたり、若い男の子が自転車にまたがったままくるくると回ってBMXに興じていたり、小さな子どもを連れた若い主婦がベビーカーを押しながら歩いていたり、外回りの営業マンが退屈そうに煙草を吸ったあと、ベンチに腰掛けたまま瞼を閉じていたりする。 比較的しあわせであろう人たちの比較的穏やかな日常の風景。 そんな風景の端っこ、並んだベンチのひとつを陣取ってお弁当を広げ、足下に寄ってきた鳩に「パン屑はないよ」と心の中で喋ったり、つたない足取りで目の前を横切る幼児に手を振ったりする。 ヘッドホンから流れる音楽を聴きながら新緑を見上げて木漏れ日を浴びる40分間。 嫌なことなんてもうこの先何もないんじゃないか、なんて怖いくらい希望に満ちた気持ちになる、昼時の風景。 最近はこの時間が一日の中で一番すきだ。

20080417 お弁当@世田谷馬事公苑

イメージ
ごはん(大人のふりかけ海苔たまご) ウィンナー だし巻き アスパラとブロッコリーとカリフラワーと人参を炒めたのにチーズを乗っけてオーブンで焼いたのん 野菜スープ インスタントコーヒー お供の音楽:Gilles Peterson in the House の Disc 2

20080415 お弁当@世田谷馬事公苑

イメージ
デジカメを忘れたため携帯で撮影。画像が荒いのはその所為。 ごはん(大人のふりかけ鮭) ブロッコリーとアスパラとカリフラワーと人参を炒めたのにとろけるチーズを乗せてオーブンで焼いたのん ウィンナー ハッシュドポテト(冷凍食品) 野菜スープ インスタントコーヒー ※Aのお弁当は+ポテトサラダ お供の音楽:sigh boat

20080414 お弁当@世田谷馬事公苑

イメージ
ごはん(大人のふりかけ海苔たまご) ポテトサラダ ウインナー 野菜スープ インスタントコーヒー お供の音楽:hemelのアルバム

Lunch Box

先週の日曜日、お弁当箱を購入した。 保温ジャーの筒型タイプ。 密閉できるのでスープも持ち運びOKの優れもの。 毎日ちゃんとお弁当をを作れる生活って、 ゆとりがあって何だかとても贅沢な気がして、 ずっと憧れていた。 飽きっぽいわたしなので どのくらい続くか自信はないけれども(3日坊主かもしれない)、 ひとまず記録していってみようと思う。

実り

イメージ
ベランダの模様替えをする。 去年の一夏、購入を検討した末に結局見送りにした ベランダ用ウッドデッキ。 いつまでこのマンションに住んでいるかもわからないのに、 現ベランダのサイズに合わせてウッドデッキを買うのも如何なものか。 だいたい、わたしは飽きっぽいのだ。 ベランダの植木いじりだって下手したら数週間で飽きてしまうかもしれない。 そう思って購入を控えていたのだが、 今のところ緑いじりに飽きる兆しは全くない。 で、だ。 先日、雑貨屋で売られている、草を編んで作られたマットを ベランダ用に14枚購入した。 それを敷きつめるにあたって、 どうせならばとベランダの掃除、及び模様替えを決行。 エアコンの室外機の風が当たりにくい一角に植物たちをまとめる。 ついでに、花殻をとったり芽を摘まんだりといったメンテナンスも。 作業の途中、チャービルにアブラムシを発見。 食用に育てているので、殺虫剤は絶対に使いたくない。 虫がたくさん付いてしまった枝は切り落とし、 応急処置として牛乳を霧吹きでスプレーした。 (牛乳を振りかけてやるとアブラムシが窒息する) コンパニオンプランツ、というものがある。 例えば、トマトとバジルは一緒に育てると、 お互いの生育や実着きを助ける。 畑の一角にマリーゴールドが植えられているのをよく目にするが、 あれはマリーゴールドに線虫を寄せ付けない効果があるためである。 調べてみたところ、アブラムシ予防にはナスタチウムが効果的とのこと。 しかも、葉っぱの形は蓮のような丸い形状で、 鮮やかな色の花を咲かせてくれて、 その葉っぱや花を食用にも使うことのできる優等生のナスタチウム。 早速近所の花屋に買いにいき、 チャービルを両側から挟み込むように寄せ植えを作る。 買うつもりのなかったラズベリーまで買ってしまったのはご愛嬌。 余談だが、今日の朝食サンドイッチに間引きも兼ねて、 サラダかぶとルッコラとチャービルとイタリアンパセリを入れてみたら、 ものすごく美味しかった。 たまに枯らしてしまって 哀しくうち沈むときもあるにはあるが、 なまじっか実るときもあるから緑いじりはやめられない。

塗り絵遊び

イメージ
ときどきピンク色に塗りたくりたくなる時がある。 何をというわけではないけれど、 何だか無性に手当り次第にピンク色のペンキをぶちまけたいような気分。 勿論、そんなことしないだけの分別はあるので、 手遊びにピンクに塗っても障りのなさそうなものをピンク色に染める。 少しはすっきりしたか。 いや、そうでもないか。

植物たち 〜 3月20日のベランダ作業

イメージ
1年弱前、直径5センチ弱の小さなポッドに植えられて、 どこだったかの店先で小さな葉を広げていたクワズイモ。 そのひよひよとした姿に何だか胸を打たれて思わず連れ帰った。 ベランダの環境があっていたらしく、 去年の夏が終わるまでに、4回も鉢のサイズを変えた。 冬越しの準備をちゃんとしてやらなかったせいかもしれない。 春を迎える頃になっても、少し元気がない様子のクワズイモが ちょっと前から気にかかっていた。 連れ帰った親株には子株が2株くっついている。 根詰まりを起こしているのかもしれない。 思い立って掘り起こしてみた。 いつの間にか根がこんなに伸びていた。 隣に並べた煙草の箱と比較すると成長がわかる。 根詰まりが原因したのか、少し根腐れを起こしていた。 灰色にふやけている根を切り落とし、 火で炙って軽く消毒した包丁で、子株と親株を丁寧に切り離してやる。 たいした作業ではないのだが、株分けは初体験なので、気分はオペさながら。 そんなに手をかけたわけでもないのに、 一年間で子株をふたつつけるなんて、植物の生命力って凄い。 厳かな気持ちで太陽にかざす。 シルエットが気高い獣の骨のひとかけらのよう、などと思ってしまうのは たぶん親バカなのだろうけれど。 熟練した職人の笹くれだった指のよう。 マニキュアが剥げているのはご愛嬌。 切り分けた親株と子株2本をそれぞれ別の鉢に植え替えてやる。 その後、少なめに水をやりながら、直射日光を避けた場所で様子を見ている。 それぞれの株が新しく根を張って安定してきたら、1鉢は里子に出そう。 カーペットのように広がってこんもりと茂っているベビーティアーズは、 斑入りの葉のものを買ってきたのに、新芽は何故か斑なし。    そこかしこに斑なしの新芽がでている。 斑入りの品種の場合、次第に斑なしの葉のほうが勝って来るので、 見つけ次第取り除いたほうがいいらしい。 が、かわいそうな気がして切り落とせずにいる。 幸の香品種の苺も次々に花をつけている。 苺は肥料喰い。 養分の状態で実のつける数もその甘みも大きく変わる。 美味しい実をたくさんつけてくれるようにと、ちょこちょこ油粕を追加。 近所の花屋で買ってきた斑入りのクローバー。 グランドカバーにもってこいなので、 広がってきたら切り分けて他の鉢の元に植え替えるつもりで購入した。 クローバーの小さなポットを花屋