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グッバイ・オールド・スポート

悲しいお知らせに気付いたのは昨日の夕方、 仕事の合間に一服しようと席を立った頃合いだった。 友人が死んだ。 と、京都に住む友だちが知らせてくれた。 友人などと言ってしまうのは失礼に当たるのかも知れないけど、 わたしが「ともだち」だと口にしても不愉快に思ったりしないような おおらかな人だったように思うので、 生前の彼のおおらかさに甘えて、友人と書かせていただく。 ● 初めて会ったのはメトロで、最後に会ったのもメトロだった。 「あの人メトロに住んでるんだよ」などという友だちの言葉を真に受けて 「え、お風呂とか洗濯とかどうしてるんですか」 などと聞いてしまった阿呆なわたしに 「比喩って言うんですよ、そういうの」と言って笑ったのが初対面。 朝方、少し空いてきたフロアのやや後方で缶ビールを片手に踊る姿は、 わたしの思い描くメトロの風景に必要不可欠だった。 踊り狂ったままハイタッチを交わし、 たまにご機嫌だと手に持ってるビールを一口飲ませてくれたりする、 自転車で颯爽と帰っていく姿が印象的な、みんなのお父さんみたいな人。 年齢は40代の半ばらしい。 大人なのにとても若々しい彼を見ていると、 自分のすきなことをきっちりと出来ている人は 年なんてとらないのかも知れないな、などと思った。 背が高くて、博学で、でも堅苦しくなくて、気さくで、穏やかで、 映画をたくさん観ていて、本をいっぱい読んでいる、 格好良い大人の代表格のような人だった。 いつかわたしもああいう大人になりたい、と思っていた。 関東に戻って来てからはこれといって交流があったわけではない。 でも、映画やら本やらの感想が小気味いい文章で綴られている 彼の日記を読むことは、相変わらずわたしの楽しみのひとつで、 面白そうな本が紹介されていたりすると、その本の題名のメモを片手に 仕事帰りに本屋へ向かったりしたこともあった。 京都に行ったついでに足を運んだメトロにて、 フロアの人だかりの中、頭ひとつ飛び出た姿を確認して、 「ああ、相変わらずのメトロだわ」と思ったりもした。 かれこれ十数年、メトロに通い続けてるんです、と言っていた。 年月が経っても変わらないものを象徴するような人だった。 わたしにとっても、他のみんなにとっても。

プリティー・ママ

うちのマンションの周辺には野良猫がたくさんいる。 一軒家の多く並ぶ住宅街の中なので、 決まった家でごはんをもらったりしている猫たちなのかもしれないが、 とくに首輪をつけていたりするわけでもなく、 気ままに暮らしている様子だ。 (気ままでない猫というものも、およそ見当がつかないが。) 夜ともなれば、 片側1車線の通りから小道へ入ってマンションへと歩く1、2分の間に 3、4匹ほどの猫たちに出くわすこともしばしば。 顔見知りの猫もいて、そういう猫とすれ違った時などは、 それぞれの場所で奮闘する同士とすれ違ったときのようなような感情を抱く。 片手を軽く上げて「おつかれー」と言いながら廊下をすれ違う時のような。 決まった時間帯にジョギングをする人が、 そのコースのほぼ決まった位置で毎日すれ違う人と、 目だけあわせて軽く微笑みつつ「どうも」といった挨拶を交わす時のような。 顔見知りの猫たちもそのキャラクターは様々で、 わたしの姿を見るなり、ひゅっと住宅の塀の隙間に身を隠すのもいれば、 とくに気に留めずに道の真ん中を陣取って動かない肝の据わったやつもいる。 食べ物を持っているわけでもないのに、 甘えた声で鳴きながらすり寄って来るものもいる。 夜である、辺りは暗い。 見通しの悪い薄暗い小道にてひとりしゃがみ込んで、 いや、厳密にいえば「ひとり」ではなく「一人と一匹」なのだけれども、 にゃあにゃあ言いながら猫と戯れあう姿は、 遠目に見たらちょっとした不審者に違いない。 そんなことを思って、後ろ髪をひかれてすこし足を緩めつつも 素っ気なく通り過ぎていた。 たしか冬の終わりの15時過ぎ、陽が傾きかけた頃だったと思う。 わたしは散歩の帰りで、早稲田にある書店で小説を買い、 近所の喫茶店で買ったコーヒー豆をひいてもらっている間 コーヒーを一杯飲みながら一服し、 買ったばかりの文庫本をぱらぱらとめくって 張り付いていたページがぺりぺりと剥がれる感触をあじわい、 新しい本独特の香りを嗅ぎながら 「おうちに帰ったらコーヒーを入れて  チョコでも齧りながらこの本をじっくり読もう」などと考えて、 妙に満たされた気分になっていた。 ペーパーフィルター用にひかれた豆を受け取って店を出た後、 日中はあまり歩かないその小道